映画『セッション』から学ぶ「教える側」「教わる側」としての姿勢・考え方
こんばんは。
濱脇宏太です。
前回、映画『セッション』を2回目観た際の所感を書きました。
今回はネタばれ込みで具体的に個人的なレビューという形で書きます。
1、二人の復讐心と対抗心が一変、最高の音楽が創りあげられる瞬間
私が印象的に感じた”師弟関係”は映画の終盤。
フレッチャーは、ジャズバーでニーマンと昔話を交えながら、「good job(上出来だ)」は最も危険な言葉、チャーリー・パーカーは決して挫折しなかった、教え子に期待以上の才能を開花させてあげたいという彼自身の指導者としての教育論(マネジメント)を話します。
その後、『セッション』内で誰もが「衝撃的だった!」「感動して泣いた!」と絶賛の”ラスト9分19秒”が訪れますが、この短時間の間には二人のさまざまな想いがぶつかりあっています。
フレッチャーの自分を密告したニーマンへの復讐心から始まり、ニーマンは一度挫折しそうになりますが、その後ふらふらと舞台に戻るや否や周りの演奏者を巻き込み”キャラバン”を演奏し始めます。
始めはその勝手な行動に敵意むき出しのフレッチャーもニーマンの”チャーリー・パーカーのような”見事なドラムテクニックに引き寄せられるかのように指揮に夢中になります。
途中の二人の笑顔からは、フレッチャーの復讐心や、それに対するニーマンの対抗心は、互いに最高の音楽を創りあげるという純粋な想いに変わった瞬間だと感じました。
2、究極の師弟関係が生まれた瞬間
まばたきを忘れる程スクリーンに見入ったのはこの後、ニーマンが演奏を止めず、ソロドラムを続けるシーンからです。
「Up to you」
ニーマンからのこの一言を聞いたフレッチャーは指揮でニーマンを引っ張っていきます。映画内では「Up to you」を「合図する」と表示されていましたが、私の個人的な見解としては「合図する」という意味ではなく、「(信頼して)あなたに任せる」という意味だったのではないかと推察します。
密告するかどうかを葛藤している姿、今回のフレッチャーの誘いに乗った点から、一人の音楽家としてフレッチャーの音楽に対する強い想いには尊敬している事は間違いないと感じたからです。
※心の底から嫌いな相手の誘いなら普通断りますしね。
ソロドラムの終盤、ひたすら叩き続け体力的にも意識的にも限界に近づいているニーマンのそばにフレッチャーが歩み寄り、そんなニーマンを見守り引っ張っていく場面は、最初の練習室でのシーンを思い起こさせます。
まさに二人だけの空間の中、途中ニーマンの激しいソロドラムにより、サスペンドシンバルが緩みますが、これをフレッチャーが自然に直し、「安心してそのまま続けろ」という表情を見せます。
そして、フレッチャーの指揮にニーマンが完璧に応えて最後にシンバルを叩いてフィニッシュし、ブラックアウト。
フィニッシュする直前に二人が見合った時、ニーマンが自分自身の期待はもちろん、指導者であるフレッチャーの期待を超え、互いに共感した瞬間だと感じました。
3、まとめ
どの業界にも教える側:師匠と教わる側:弟子がいて、その師弟関係はさまざまです。
この映画にも、1つの”究極の師弟関係”が描かれています。
この映画から”師匠は弟子の可能性を弟子以上に信じ、その可能性を引き出すために全力であること”、”弟子は師匠は皆、弟子の可能性を弟子以上に信じていること”、”師匠が全力で向かい合ってくれてるのであれば、弟子はそれ以上に全力で向かい合う姿勢が大切であること”を学びました。
この学びを活かしてグローバルマネジメントは、ビジネスパートナーとのチームワークを高めていき、互いに期待を超える実績を創りあげるため邁進していきます。
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